本日3月25日、ミッシェル・オスロ監督の最新作、『夜のとばりの物語』を観に行きます。予習もかねて、彼の代表作『アズールとアスマール』を観ました。

この作品には、地位も境遇も全く違う二人の青年が登場します。フランス貴族の王子であるアズールと、移民の息子であるアスマール。アスマールの母親、ジェナヌの愛情を受け兄弟のように育った二人ですが、アズールが大きくなり乳母の存在がいらなくなった時、ジェナヌとアスマールは一文無しで路上に追い出されます。

美しい青年に成長したアズールは、幼い頃乳母から聞いたアラビアの妖精ジンの物語りが忘れられず、遠い異国の地を目指し、ジンを救い出す旅に出るのです。

この映画はファンタジー調のフィクション作品でありながらも、差別の問題や、移民として生活をしている人々が直面する苦しみを浮き彫りにしています。

フランスという異国の地で献身的に働くアズマールの母親ジェナヌは、多国語が話せ聡明であるにも関わらず、移民という立場のために使い捨ての労働者のように扱われてしまいます。しかしこの立場は、アズールが海を渡り異国の地へたどり着いた時に逆転します。周りの言葉が分からず当惑するアズール。さらにそこでは「青い目は不吉である」という古い言い伝えが未だに信じられており、金髪で澄んだ青い目をしているアズールは、よそ者として不憫な扱いを受けるのです。

髪や目、肌の色が違うだけで、特別視される。外国語を喋っていたり、日本語にアクセントがあると嫌な顔をされるなど、隠れた差別は日常に溢れている気がします。なぜか日本では多数派が力を持つ傾向があり、「出る杭は打たれる」ということわざもあるように、違った人を敵視する傾向があるような気がします。

この映画ではフランス語とアラビア語が使われているのですが、オスロ監督はあえてアラビア語に字幕をつけることをしませんでした。これは異国に住むということ、相手の言葉がわからないということを観客に疑似体験してもらいたいという監督の意図でした。おもしろいことに、映画を観た大人の多くは言葉がわからないことに苛立ちを覚えるようですが、子供たちはとても楽しく鑑賞できたようです。

さらに監督は、フランス人観客の多くはアズールに共感する人が多かったけれど、日本人はアズールかアスマールどちらに共感するのかとても興味があると述べていました。皆さんはどちらに共感しましたか?

私はアスマールの母親でありアズールの乳母であったジェナヌに共感しました。異国の地で生計を立てる難しさ、母親として子どもに愛情を注ぐ姿、そしてアズールとアスマールと別け隔てなく育て上げた彼女の強さは偉大でした。

ここで忘れてはならないのは、映像の美しさです。彼の作品の特徴は、影絵的な手法を使った平面的な映像ですが、『アズールとアスマール』では背景画に写真のコラージュを、人物描写に3Dを取り入れたそう。細部にまでこだわった背景画は息をのむほどの美しさがあり、一コマ一コマがまるで完成度の高いポスターのようです。イスラムの文化や北アフリカの生活様式を忠実に画面に取り入れ、建物のタイル一つ一つが手に取るようにわかるのです。Horror Vacui(空虚への恐怖)という言葉があるように、イスラムのモスクは幻想的な模様で埋め尽くされており、映画の背景にもまたアラベスク模様がちりばめられていました。

対照的なのは、シンプルなキャラクターの描き方です。衣装の色はアラビア文化特有のまぶしい色なのですが、べた塗りといっていいほど装飾がおさえられ、キャラクターの表情と手の微妙な動きに込めた感情を引き立てるという監督の工夫が見られます。この背景と人物のバランスが見事で、まるで人物たちが浮き彫りにでもなっているよう。

芸術を言葉で表すのが難しいように、映画の美しさを言葉で表現することも簡単ではありません。私のつたない言葉では語りきれない箇所が沢山ある映画です。百聞は一見にしかず。是非ご自分の目でアラベスクの美しさを確かめてみてください。

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