愛する人が自分のことを思い出せなくなったらあなたはどうしますか?
それでも大切な人のそばにいますか?

7年前の結婚式で、私は夫を「健やかなる時も病める時も愛する」事を誓いました。二人で一緒に年老いていくことを決心しました。けれどもし彼が私の事を思い出せなくなったらどうするのかなぁ。
二人で過ごした幸せな時間や子どもの事まで忘れてしまったら?

『君に読む物語』の主人公、ノアは、痴呆になった妻・アリーに物語を読み聞かせました。アリーが自分のことを思い出してくれることを願って。痴呆は改善する見込みが無いと医師から言い聞かされていたにもかかわらず、彼は奇跡が起こると信じていました。

ノアの気持ちは痛いほどよく分かります。自分や家族のことを思い出せなくなっても、アリーを愛する気持ちは変わらない。彼女が自分を思い出してくれるならどんな努力も惜しまない。

きっと私も同じことをするでしょう。病状が改善する余地がないと知っていても、ありとあらゆる努力をすると思います。一緒に思い出話はできなくても、愛する人を目の前にして、大切な思い出を読み聞かせてあげたい。

しかしこれが介護という立場になったらどうなのでしょう。食事の支度、お風呂やトイレの世話、病との戦い。自分の時間はほとんど取れない。どれだけ続くのかも分らない。

自分ではない他の誰かの世話をするのであれば、介護と子育ては似ているかもしれません。けれど子育てが楽しいのは、子どもの成長を日々実感できるから。言葉を覚え始めた、歩き始めた、絵が上手になったなど、毎日が驚きと喜びで溢れています。これが介護となると状況が変わってきます。世話をする相手は成長するのではなく、退行しているかもしれません。今日覚えていたことが明日には分らなくなるかもしれません。

この映画を観て思ったこと、それは長年培った愛と感謝の気持ちは老いていく人を温かく見守る原動力になるということ。

いづれ私にも大切な人達を介護する日が訪れるでしょう。その時、介護される人のすべてを受け止められるように、沢山の思い出を作りたい。沢山の幸せな時間を過ごしたい。

愛する人の最期に寄り添うことは、生きている人たちの役目。
愛は奇跡を起こす。映画のエンディングは究極のハッピーエンドといえる最期です。

ハッピーエンドなのに、それでも涙が溢れてくるのは、人生には終りが来るから?
それとも愛する人に忘れられるのが怖いから?

温かくって深みのある映画です。

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