シブヤ大学

先日、6月18日(土)、シブヤ大学が開催する授業に参加してきました。
テーマは「映画の世界観」。皆さんは、「世界観」っていう言葉使ったことありますか?
例えば、あの映画の世界観が好き…とか、映画の世界観を理解するのは難しい…なんて。
実は私、「世界観」という意味を勘違いしていたみたいなんです。

「世界観」って、映画が醸し出すムードや独特な雰囲気だと思っていたのですが、実はもっともっと大きな意味が含まれているのです。

単刀直入に言うと「世界観」とは「世界の観方」。
つまり、主人公が自身の世界をどのように捉えているか。それは時に斬新で、時に理解不能…
ここで重要になってくるのが、主人公がどんな設定の社会に住んでいて、どんな問題を抱えているのか。多くの場合、主人公は社会のルールに縛られていて居心地が悪い。そして多くが「自分の人生ってこれだけなの?」といった疑問を抱えている。そこで「社会よりも広い「世界」に思いをめぐらせ、自分の価値や生きる意味を見出す行動に出る。

ここでいう「社会」とは主人公が生活をしている直接的で、秩序のある空間。「世界」とは社会を卓越した意味付けできないもの。幸せ、自由、宗教といった見えないものだったりもする。価値観とも通じる言葉なような気がしますね。

参考映画として講義中に見た参考映画は
『ブレードランナー』
『ファイト・クラブ』
『アメリカン・ビューティー』
『イントゥ・ザ・ワイルド』

『ファイト・クラブ』や『アメリカン・ビューティー』は「世界観」を理解するには非常に参考になる映画だと思います。

どちらも設定は私達が良く知っている現在。スーツを着て会社へ通勤し、上司に言われるがままに日々のノルマをこなす主人公達。洋服や家具、家にいたるまで、溢れんばかりのものに囲まれて暮らしているけど、心は空っぽ。充実感ゼロ。生きているのではなく、何となく生かされている。
そんな彼らが「世界」を垣間見る瞬間が訪れます。

エドワード・ノートンの場合はタイラー・ダーデンとの出会い。その出会いがファイトクラブの結成に至り、彼のはけ口となります。さらに同じような日々を送っていた男達が次々とファイトクラブに仲間入りし、存在を明らかにしてはいけない地下の男軍団は膨れ上がっていきます。
赤の他人と殴りあうなんて、痛いし、次の日の仕事に響くし、無意味な活動だなぁって思ってしまいますよね。でもメンバーにとってのファイトクラブは唯一無二の存在。痛みを感じ、自分の魂を実感できる。自分と同じような鬱憤を抱えた同士との連帯感を感じられる。「社会」を超えて「世界」へ飛び出せる稀有な場所。

一方、『アメリカン・ビューティー』でケビン・スペイシーが演じるレスターが社会を卓越するのは、娘の友達と出会った時。彼女の艶やかで新鮮な美しさは、忘れかけていた情熱を呼び覚まし、彼に新たな目的を与えます。押し殺していた感情は一気に溢れ出す。会社を辞め、ずっと欲しかった車を買い、言いたい事は何でも口にする。彼はまるで別人のよう。「社会」の操り人形となっていたレスターは美という「世界」に触れて開放されるのです。

さらにこの映画では、登場人物一人一人がそれぞれの「世界」を感じているのがおもしろい。娘のジェーンは、隣に越してきたリッキーの偽りの無い自信を悟り、友達に合わせていた自分を見つめ直します。変人と呼ばれるリッキーは、ビデオカメラで「世界」を記録し続けています。彼自身が傑作品と呼ぶビデオは、皆さんもご存知、プラスチック袋が風に舞うシーン。

自信や愛といった目に見えないもの、殴り合いやゴミ袋が飛ぶといった意味の無いことこそが、日常を抜け出せるグレート・エスケープとなりえる場合があるようです。

「世界観」って奥が深~い。まだまだ十分に理解できていないし、私の解釈は講師をしてくださった榎本監督とはちょっと違うのですが、シブヤ大学の講義は映画の理解を深める良いきっかけとなりました。
「映画のプロモーションをするために、3時間喋りました」っていうオチでしたが、榎本先生、お忙しい中3時間もお話していただいてありがとうございました。


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